わたしたち、読売理工医療福祉専門学校は2020年に開校50周年を迎え、長年親しんだ港区芝から、再開発著しい文京区小石川に引っ越ししてきました。校舎も高層ビルに入居して、先生も学生も快適に勉強しています。

では、その50年前、開校した1970年のころは、どうだったのでしょうか。当時の写真を見ると、出来たばかりの校舎もやはりピカピカでした。当時の読売新聞によると「「最新鋭のコンピューター」を備えた校舎」と報道しており、当時も、今と同じように、先生も学生も快適な環境で勉強していたのでしょう。

開校当時の校舎(1970年)当時の学校名は東京理工専門学校だった。
藤岡通夫先生(初代学科長、東京工業大学名誉教授)

さて、そこにやって来た建築学科の学科長は、ものすごく権威のある先生でした。

その先生は、知る人ぞ知る「お城博士!」。藤岡通夫先生です。

日本に残っている江戸時代に建てられた「ホンモノ」の天守は、たったの12棟だけ。

明治維新や、太平洋戦争で多くのお城がなくなってしまったのです。

でも、「お城はわが町のシンボル、お城が欲しい!今度は燃えないコンクリートで作ってしまおう」。 戦争が終わってからそうやって考える人たちが増えていったのです。こうして、お城が建てられていったのですが、これを「天守閣復興ブーム」といいます。

そこで登場するのが、上述した建築学科初代学科長・藤岡通夫先生なのです。

藤岡先生はお城の権威、お城の細かいところを研究し尽くしている建築学者です。和歌山城、小田原城、熊本城、福山城などの復原を手がけました。

『熊本城』という小冊子には、「コンクリートでも細部まで正確に復元できた」とあり、かなりの自信ぶりです。

熊本城天守(1960年)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kumamotojo.jpg

そんな有名な先生が、なぜ本校の建築学科に来てくださったのでしょうか?

それは、当時、工業高校の卒業生が大学などの上位の学校に進学するのは難しく、良い技術者を養成するには良い学校が必要だと考えたからです。ですので、名誉職ではなく、本校で実際に教鞭をとり、実習を行い、その教育はなかなか厳しかったようです。

ちなみに、藤岡先生は、近世建築の第一人者であり、先生が書かれた教科書は今でも使っている専門学校や大学があります。1988年に亡くなりましたが、今も影響のある先生です。本もたくさん出されており、本校の図書室にも、先生のお城本や江戸時代の建物に関する本が、一部入っています。

実は、藤岡先生は文京区(旧・本郷区)のお生まれで、本校の近くにある誠之小学校ご出身です。先生も、このあたりの風景を見ながら育って、建築を志したのでしょうか。初代学科長のゆかりのある地域に、本校校舎が移って来たのも何かの縁かもしれませんね。