昨年になりましたが、横浜象の鼻テラスで行われた、
『FUTERE SCAPE PROJECT 2022』に学科有志で出展しました。
約2年ぶりの出展です。
今回は「うつしうつしよ/Reflective Trunk」 と題して、高架下にLED照明を内包したボックスを連続的に配置し、日中・夜間と 的に写りこむ装置を提案しました。
海風吹く中大変でしたが、たくさんの方に来場いただき、とても充実したイベントになりました。
昨年になりましたが、横浜象の鼻テラスで行われた、
『FUTERE SCAPE PROJECT 2022』に学科有志で出展しました。
約2年ぶりの出展です。
今回は「うつしうつしよ/Reflective Trunk」 と題して、高架下にLED照明を内包したボックスを連続的に配置し、日中・夜間と 的に写りこむ装置を提案しました。
海風吹く中大変でしたが、たくさんの方に来場いただき、とても充実したイベントになりました。
第22回 専門学校卒業作品展示会が、港区の建築会館にて始まりました。
全国の専門学校生の卒業設計優秀作品が一同に会して行われる展示会です。
本校建築系学科から、3名の作品を展示しています。
学生の集大成をこの機会にぜひご覧になってください!
第22回専門学校卒業作品展示会
会期:2022年6/13(月)~25(土) ※最終日は13:00まで
会場:建築会館 1階ギャラリー(東京都港区芝5-26-20)
主催:全国専門学校建築教育連絡協議会
さて、展示会が開催される田町は、3年前まで本校の校舎があった地です。
(建築会館は、前校舎の隣)
校舎があった敷地には、オフィスビルが建設中でした!
ここ田町エリアは、山手線「高輪ゲートウェイ駅」新設などの影響もあり、西口、東口で多くの開発(再開発)が行われているエリアですが、一方で小さなお店も残っています。
様々なスケールが混在して、今後も面白いエリアになりそうですね。
今年度から開講した、【建築学概論】の授業風景です。建築を学ぶ1年生向けに、オムニバス形式で各分野の講師が講義する授業です。
今回はランドスケープアーキテクトの橋内智也先生にお願いして、国内外の事例、橋内さんの作品を中心に、ランドスケープのやりがいや面白さを講義して頂きました。
読売理工の最寄駅は、後楽園駅と春日駅、そして水道橋駅です。
水道橋駅で下車して本校に通う場合は、東口で降りて、東京ドームシティに沿ってテクテク歩きます。そして、その雰囲気を横目に学校に通いますが、たまには、息抜きに入って遊ぶのもいいかもしれません。
東京ドームシティーHP https://www.tokyo-dome.co.jp/
さて、そのさっき下車した総武線なのですが…。
水道橋駅西口から飯田橋のほうに100mに行くと、JR日本橋川橋梁とその両側に小石川橋通架道橋という橋が接続して存在しています(写真右側。下に流れているのは、日本橋川です。)
何を突然と思う方もいるかもしれませんが。
みなさんは、この橋をみてどう思いますか? よく見る小ぶりの鉄橋に見える人も多いのではないでしょうか。
普段、まちを歩いているとステキなものに、眼がいってしまいます。それは専門家も同じで、デザインが優れたものを評価してしまいがちで、現実にそのような状態が続いてきました。
しかし、建築やまちの専門家になるみなさんには、見た目ではなくて、まちにあるものが、いいものなのか、よくないものなのかがわかる眼を養ってほしいと思います。
この日本橋川橋梁を観察すると、四角い鉄骨枠組みに斜めに材料が入っています。これをトラス構造といいます。大きな部材をつかって梁をつくるより経済的に構造物がつくれます。
そして、その横の通過道橋をよく見てみると、下のようなプレートが取り付けられていました。
HARKORT DUISBURG-GERMANY 1904と書いてあります。
つまり、ハーコートという会社が1904年(明治37年)につくった、ドイツ製の橋なのです。(デュースブルクというのは、ドイツ西部の地名です。)
そして、専門家がもっと調べると、川の上にあるトラス構造の橋の方も、ドイツのハーコート社製であることがわかりました。そして、これらの橋梁はレンガ積みの橋脚で支えられています。となると、なんとなく明治の香りが…。
そうなんです!
この橋はこの線路が出来た1904年から、そのまま、117年も使われているのです。100年以上も前の鉄橋の上を、過密ダイヤで走る総武線が通っているのは、すごいと思いませんか?地味でも、何万人もの足を、ずっとトラス構造でしっかり支えているのです。
このように、ちょっと地味でも、縁の下で産業を支えてきた建造物や機械を「近代化遺産」といいます。
例えば、工場や機械、橋、ダム、トンネル、発電所、鉄道施設などが、価値があるものと考えられるようになりました。 例えば、近代化遺産で有名なものに、「軍艦島」があげられます。戦後は、荒れ果てた孤島でしたが、ここで、たくさんの石炭が出て日本を支えたこと、建築分野では綿密な建築計画が行われことが再発見され、今では世界遺産になっています。
実は日本橋川橋梁・小石川橋通架道橋も、近代化遺産として、土木学会が「鉄の橋百選」に選んでいます。
まちにあるものの価値は最初からあるものではありません。
誰かが価値を発見するものなのです!
まちを歩いて、わたしたちと一緒に色々なものを発見しませんか?
さて、みなさんに問題です!
「東京には、上り坂と下り坂。どちらが多いでしょうか?」
この前、講義でこんな質問をしたら、学生からは「のぼりざかー!」と元気のよい声があがりました。
が、……同じ坂道なので、「上り坂」も「下り坂」も、当然同じ数になります。
でも、上りの方が気持ちのいい坂と、下りの方の気持ちのいい坂があることは、読売理工の周りを歩いていると、すぐに理解できます。
読売理工の校舎は、本郷台地と目白台地という高台の間の谷筋に建っています。なので、東に行っても、西に行っても、坂は上りになっています。
校舎の南側を東西に走る四車線道路である春日通も、同じように坂道になっていますが、交通量が多くて風情がありません。でも、ちょっと横にそれると、ちょっと素敵な坂道がたくさんあります。
まず、東に行ってみましょう。例えば、500m歩くと菊坂があります。昔ながらの商店街で、樋口一葉が通った伊勢屋質店(文京区指定文化財)があり、伝統的な商店や古い喫茶店が残っていて、歩いていて楽しい庶民的な坂道です。風情のあるお宅もあって、少しなつかしい気持ちになるかもしれません。菊坂は上って行くとき、わくわくする坂道です。先日の建築学科の授業で「まちあるき」としてこの辺りを散策しました。
では、下の写真にある、菊坂の南側にあるこの坂はどうでしょうか?
炭団坂という名前がついています。
炭団は練炭と同じような昔の燃料のことです。あまりに坂が急なので転がってしてまい、真っ黒になってしまうという意味で名づけられたのです。崖にはいつくばっていて、階段になっているので上るのは大変です。
でも、上から見るときれいな風景が広がっています!美しくデザインされているのも注目です!(建築を学んでいるとこのようなデザイン計画を一度は立ててみたいものです。)
なので、ここは下る方が気持ちいい坂道でしょう。
では、今度は、西に行ってみましょう。校舎から500m離れたところに、善光寺坂があります。この坂は200mぐらいの長さのゆったりした坂です。
樹齢400年のムクの大木(文京区指定天然記念物)や、善光寺や稲荷大明神、慈眼院などはじめとする寺院建築を見ながら、散歩する事が出来ます。これらの寺院には、面白い形をした江戸時代の建築があり、興味をそそります。
そして、建物の高さも低いので、景色を守ろうという気持ちが、まちから感じられます。
ちなみに、タレントのタモリさんも、著書『TOKYO坂道美学入門』で絶賛している坂だったりします!
このように考えると、建築を学んだり、まちを体験してみたりすると、「上り坂」と「下り坂」があって、それぞれ受ける印象に違いがあることや、それぞれの坂に個性があることがわかります。
みなさんも、読売理工の建築学生になったら、放課後に近所を歩いたり、
設計課題の敷地を調べに行くことになります。
道路は建築設計を行う上で重要な要素になります。
みなさんが見ている坂は、もう単に「坂」ではありません。
「上り坂」でしょうか「下り坂」でしょうか、感じ取ってみてください。
わたしたち、読売理工医療福祉専門学校は2020年に開校50周年を迎え、長年親しんだ港区芝から、再開発著しい文京区小石川に引っ越ししてきました。校舎も高層ビルに入居して、先生も学生も快適に勉強しています。
では、その50年前、開校した1970年のころは、どうだったのでしょうか。当時の写真を見ると、出来たばかりの校舎もやはりピカピカでした。当時の読売新聞によると「「最新鋭のコンピューター」を備えた校舎」と報道しており、当時も、今と同じように、先生も学生も快適な環境で勉強していたのでしょう。
さて、そこにやって来た建築学科の学科長は、ものすごく権威のある先生でした。
その先生は、知る人ぞ知る「お城博士!」。藤岡通夫先生です。
日本に残っている江戸時代に建てられた「ホンモノ」の天守は、たったの12棟だけ。
明治維新や、太平洋戦争で多くのお城がなくなってしまったのです。
でも、「お城はわが町のシンボル、お城が欲しい!今度は燃えないコンクリートで作ってしまおう」。 戦争が終わってからそうやって考える人たちが増えていったのです。こうして、お城が建てられていったのですが、これを「天守閣復興ブーム」といいます。
そこで登場するのが、上述した建築学科初代学科長・藤岡通夫先生なのです。
藤岡先生はお城の権威、お城の細かいところを研究し尽くしている建築学者です。和歌山城、小田原城、熊本城、福山城などの復原を手がけました。
『熊本城』という小冊子には、「コンクリートでも細部まで正確に復元できた」とあり、かなりの自信ぶりです。
そんな有名な先生が、なぜ本校の建築学科に来てくださったのでしょうか?
それは、当時、工業高校の卒業生が大学などの上位の学校に進学するのは難しく、良い技術者を養成するには良い学校が必要だと考えたからです。ですので、名誉職ではなく、本校で実際に教鞭をとり、実習を行い、その教育はなかなか厳しかったようです。
ちなみに、藤岡先生は、近世建築の第一人者であり、先生が書かれた教科書は今でも使っている専門学校や大学があります。1988年に亡くなりましたが、今も影響のある先生です。本もたくさん出されており、本校の図書室にも、先生のお城本や江戸時代の建物に関する本が、一部入っています。
実は、藤岡先生は文京区(旧・本郷区)のお生まれで、本校の近くにある誠之小学校ご出身です。先生も、このあたりの風景を見ながら育って、建築を志したのでしょうか。初代学科長のゆかりのある地域に、本校校舎が移って来たのも何かの縁かもしれませんね。
ご多忙な中、ご協力いただいた河端建設様ありがとうございました!
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