たとえば「京都」についての本だけでもたくさんある。
「京都」の旅行の本なのか?
「京都」の食べ歩きの本なのか?
「京都」の歴史の本なのか?
「京都」の七不思議の本なのか?
また・・・
「京都」の「旅行」の中でも、
紅葉を楽しむものか?芸術を楽しむものなのか?観光を楽しむものなのか?
「京都」の「食べ歩き」の中でも、
スイーツなのか?精進料理なのか?フランス料理なのか?
「京都」の「歴史」の中でも、
平安時代なのか?文化なのか?寺社仏閣なのか?
「京都」の「七不思議」の中でも、
都市伝説なのか?歴史に絡むものなのか?極めて現代のものなのか?
切り口を変えるだけで、
雰囲気も変わってしまう、対象も変わってしまう。
対象が変わると、
写真も変わる、絵も変わる、文章も文体も変わる。
そしてまた、それをデザインする人のセンスで、
レイアウトが変わる、丁装が変わる、カタチが変わる。
そしてこれは、見方を変えれば「表情」といえるのではなかろうか?
印刷物の表情は、それを作る人に委ねられる。
そしてそれが「特徴」になっていたりするのだろうか?
同じもの、同じ写真、同じ文章を使っても、
それをデザインする人によって、できあがる物は変わる。
そしてそれぞれ、上手・下手、稚拙・達者、単純・難解、
あるかもしれないけど、それぞれにその人の表情がにじみ出る。
ただ並べるだけなら誰でもできる・・・本当に?
ただ並べるだけ、されど並べるだけ、ここに並べるだけ。
でも、表情が出る。
几帳面か、いい加減か、良い加減か。
それが印刷物の表情となって、人の目を楽しませる。
モノを作る人間にとっては、それを見て楽しむ人を思うことも、
原動力のひとつになるのかもしれない。
だから、ご飯を食べることも、眠ることも忘れてしまう人が多い。
だって、モノを作ることは「遊び」と同じだけ、エキサイティングなことだから。